コナツはいつも迷走中!?

国際派バリキャリ女子を目指したあの頃の私はどこへ行った!?過去を振り返りつつ、今後を模索中のアラフォー女子。どうぞよろしくお願いします。

迷走した20代の就活③

どうして知らない土地に引っ越してまで転職したのか?ってとこですが、実はその会社の開発部門が、数年後に私の地元に引っ越してくることになっていたのです。当初は1年ぐらい先とのことでしたが、実際に引っ越しになったのは、2年後でした。

あなたは、例えそれが良い変化だとしても、いつ起こるかは定かでない場合でも、ただ待っていられますか? 私は待つのは、すっごく苦手です。

 

でも、私は常に、『思い描いていた環境と違ったからと言って、すぐ辞めてもいいのか?それは逃げではないか?』と思いました。なんとか直面している環境に慣れ、そこで楽しみを見出そうとしました。何にでも興味があり、多趣味な人って、どんな環境でも楽しめるんだと思います。残念ながら、私はそんなに器用な人間ではなく😭

周りには娯楽施設も殆どなく。。。😭

 

 

近くのジムに行ってみたり、

レンタルビデオショップで、DVDを借りてみたり、

家では下手ながら、ギターで弾き語りしたり、

海が近いので、車で海に行ってみては、叫んでみたり🤣

海沿いの道を音楽ガンガンにして、歌いながら運転してみたり🤣(→めっちゃ危ない?)

 

ちなみに、自分の住んでいたアパートのお隣さんが、なんと同じ会社の人で、

『もしかして。。。歌ってたね?』って話しかけられたこともありました。

その後、その方や、そのお仲間さん達に飲み会に誘って頂いて。

何も考えずに馬鹿騒ぎできる時間でした。そういうの大切ですよね。

 

あとは、自分がクリスチャンってのもあって、日曜日とか教会に行っていました。

そこで歌を歌ったり、話をきたり、みんなでご飯を食べてワイワイやったり。

そんな仲間にすっごく助けられて、本当はその場を離れたくなかった。。。

でも、また月曜日からの元気をもらって、なんとか進んできた、そんな感じでした。

 

 

社会人になると、会社とか仕事関係以外で友達を作る機会がめっきり減りますよね。

でも、自分と趣味とか、考えとかが合うような人、自分が尊敬できる人の繋がりって大切ですね。

 

仕事では、紙媒体の図面のコピー以外にも、システム上での図面や仕様書の発行、時々ですが海外拠点とのメールのやり取りも加わり、やることは増えていきました。

 

上司は同時期に入社した女性の方に替わり、楽しく💓と言いたいのですが、めっちゃ、しごかれました😅。彼女は海外留学経験のバリキャリ女子、正論で相手を黙らせるタイプでした。

 

彼女に業務手順書を書くように指示されて書いたのですが、表紙に赤字で、特大の❌を付けられ、やり直し!と言われ、返されたのを覚えています。どこがどう良くないのか?は何も言ってくれませんでした。

 

また、私たちの部署は本国が制定している開発ルールに則って図面や仕様書を作成するように促す部署だったので、これまで自由に(勝手に😅)やっていた部分にメスを入れないといけなかった訳ですが、、、どうやるかってのは、大切ですよね。。。

 

周りのエンジニアさんは、うちの上司を難しいと思うこともあったようで、

私もその間に挟まれて、苦労しました。

正しいことは正しい。ルールはルール。

でも、それをどう伝えるか?ってのは大切ですよね。

『ごめんなさいね、直してください』っていうか、

『あなたがいけないんです、直してください』というか。。。

 

社会に出て思ったのは、どんなに大人と思った人でも、みんな感情のある人間で、

言い方次第で、相手を敵に回すことも、味方につけることもできる。

 

残念ながら、私は味方につけるほど立ち回りは上手くないけど、でもなるべく誠意を伝えて、

理解してもらえるように努めたつもりです。

 

2年後に開発部門が異動になり、私も地元に戻ってきました。

晴れて地元!2年をなんとか乗り切りました。助けてくれたみんな、ありがとう😭😭

 

地元に戻ってきて、家族も友達もいて、仕事も慣れて、新しい友達もできて、生活は楽しかったです。でも、このまま同じ仕事を続けるのか?ってのは悩みました。もっと英語を使った仕事がしたい!って思いはいつもありました。

 

そこで部署異動の可能性を、人事に相談しました。

ありました!製品を海外工場から輸入している部署で、欠員が出るからとのこと。

そして、なんとそこの上司の方は、私が面識のある方でした。

入社してすぐの社内研修で、いろんな部署から部長クラスの方が来られて、部署の業務説明をしてくださったんです。その方は海外の工場から部品を取り寄せる購買のような業務をしている部署のリーダーでした。説明会の後、『部署に空きないですか?』って聞いてみたんですが、その当時、その部署は他拠点にあったんです。

外資系っていうか、私の勤めていた会社特有かもしれませんが、社内で体制の変化が多いので、待っていると思わぬチャンスがやってくるもんなんですよね。

 

そこでありがたく、部署異動!

輸入業務なので、英語も貿易事務の経験も活かせるかも?

入社して3年の下積み経験を経て、バリキャリ女子になれるか?

 

〜迷走した20代の就活④に続く〜

迷走した20代の就活②

国際派バリキャリ女子になるべく、次はロゴがかっこいい憧れの外資系メーカに転職しました。と、言っても勤務地は丸ビルとか六本木ではありません。

 

海が近いとても田舎の街の工業団地でした。海が近いというとおしゃれですが、養豚場が近くにあり、風向きによっては息が苦しくなることもありました。食べ物が安くて美味しい地域で、ありがたいんですけどね。

 

仕事内容は開発管理!というとかっこいいのですが、最初の仕事は、製品の図面の複製(コピー)でした。古い製品は図面が紙媒体しかなく、A0とかどでかい紙の図面を専用の機械に入れて、コピーし、それを決まった折り方でおり、社内便用封筒に入れて社内に展開する仕事でした。

 

社内の公用語は英語と言われていましたが、職場のほとんどが日本人。英語を使う機会は全然ありませんでした。図面のコピーの仕事もいつもあるわけではなく、朝出社しても、何も仕事がない日もありました。そんな時は、何かできることを探して、給湯室の掃除をしたりしました。

 

職場は男性が大半。百名以上いるオフィスで、年が近い女の子は、3人しかいませんでした。

私は中途採用のため、同期と言える人もいませんでした。同じタイミングで、同じ部署に配属されたのは、何年もその業界にいて経験を積んだ20代後半の女性で、のちに私の上司となる方でした。

 

地元からも離れて、知らない土地で一人暮らし。職場には友達になれそうな人もいない。

仕事の内容は思い描いていた内容ではなく、英語を使う機会もない。でも、仕事があるだけ、まだマシで、何も指示されないことも。名ばかりの外資系と思われる環境に思えました20代前半。どこへ行っても、迷走中?

 

〜迷走した20代の就活③へ続く〜

 

迷走した20代の就活①

高校では、アメリカに、大学ではイギリスに留学し、英語力がアップした私は、英語を使った仕事がしたいと思いました。大学では国際的な学部にて勉強していましたが、今振り返ると、英語以外、何一つ極めたものはありませんでした。

 

私が就活を始めたのは、イギリスから帰国した大学4年の夏。今から、20年前ですね〜😅

 

その当時、大学3年から就活をするのが一般的で、私が帰国した頃には、友達は就職先が決まっていました。とは言え、氷河期。それになんちゃって帰国子女。でも、夢は英語を使って世界で働くバリキャリ女子!

 

下手な鉄砲、数打ち当たる!と思い、リクルートリクナビに登録して、いろんなところにエントリシートを出しました。一部、郵送で履歴書を出した会社もあったと思います。その当時、エントリシートは、オンラインで出して、就職説明会に参加し、筆記試験を受けるというのが、一般的な採用方法だったと思います。

 

もう何社受けたか分かりませんが、エントリシートだけなら50社は出したと思います。100社出したかなぁ…でもとことん落とされました😅

 

今思えば、私には就職してすぐに使える知識も、技能もほとんどありませんでした。パソコンで、Word、ExcelPowerPointは、ある程度使いましたし、ブラインドタッチのタイピングもできました。でもどのくらいできるかを客観的に示すようなMicrosoft資格などは、持っていませんでした。

 

どんな業界でどんな仕事をしたいかと言う具体的なイメージを持てるほど、企業勉強も出来ていなかったし、実務に使えそうな、簿記とか、貿易に関する資格(通関士、貿易実務検定)とかも持っていませんでした。

 

持っているのは、(具体的でない)憧れに近い夢と、熱意だけ!

 

そんな私を気に入ってくださる会社がありました。特殊なネジなどを作る会社で、海外に輸出していました。私も入社する気満々!

 

しかし、会社が山の上にあり、通勤は車のみ。細い崖のような道を通って行きました。冬は雪が降ると、通勤までの道のりが危険だと両親から心配され、泣く泣く、断る事に。本当にそれで良かったのかは、今でも分かりません。

 

就職先が決まらぬまま、大学を卒業しました。

その後、翻訳通訳会社で、翻訳チェッカーのアルバイトをしつつ、正社員の仕事を探しました。(翻訳者が翻訳した文章の体裁直しの仕事です)

 

新卒ではないので、リクナビは卒業。

卒業しても就職先が見つかっていない人を、その当時、第二新卒と呼んでいたのですが、ハローワーク第二新卒の就職支援をする特別窓口があったので、よくそこにお世話なりました。

 

そこにはYさんという、元外資系勤務で重役をやられていた方が、退職後されてアドバイザーをなさっていました。Yさんには、いつも励ましていただきました。『あなたは語学力も想いもある。そこに経験があれば、就職できる先はいっぱいあるのに、勤めてみなれば経験は積まない。難しいですね…』と。

 

振り返ると、既にお伝えしたように、色んな資格をとる事で、もう少し私の就職の幅は広がったと思います。でも、その時はそんな事は考えてもいませんでした。

 

至らない私ですが、それでも卒業して半年後、小さな商社に就職したが決まりました。国内で中古の建設機械を買い付けて、それを海外に輸出している会社でした。

 

私はその会社で貿易事務として、輸出書類の作成や船による輸送手配の方法などを学びました。その後、その会社の業績が悪くなり、半分ぐらいリストラされる事となりました。

 

私は幸いな事に残れたのですが、いつ辞めさせられるか分からないと思い、就活を再開。1年もしないうちに転職する事となりました。

 

〜迷走した20代の就活②に続く〜

迷走したママ友との付き合い

上の子が幼稚園に入ってすぐ仲良くなったママ友がいました。Aさんと言います。Aさんは私より少し年上。話し上手なコミニュケーション上手な方で、すぐに誰とでも仲良くなれるような方でした。2人とも第一子の入園、初めての園生活だったので、仲良くなりました。家も比較的近く、お互いに徒歩登園だったので、朝一緒に登園したりしました。

 

上の子が行っていた幼稚園は、幼稚園が終わった後も、自由に、園庭等の園敷地を解放して、自由に遊んで良いことになっていました。

 

そこで、徒歩登園の子たちは、幼稚園の保育時間が終わると、よく1時間、2時間と遊んでいました。Aさんも、他にも何人か、お子さん達を遊ばせている方がいて、一緒に見守って、遊ばせていました。

 

Aさんには、お子さんは幼稚園児のBくんのみだったのですが、我が家は2人。よくよちよち歩きの下の子も一緒に遊ばせていたので、よくAさんや、周りのママさんにケアしてもらいました。本当にありがたかったです。

 

子供達にはいつもやりたいことをなるべく自由にやらせていました。泥んこになったり、水に濡れたり。だから、いつも幼稚園から帰ると靴から泥が出てきて、靴を丸洗い。も泥だらけなので、石鹸で下洗いしていました。

 

コロナ禍になっても、時々、AさんとBくん、そしてよく一緒に遊んでいたメンバーを誘って一緒に遊びました。なかなかみんなと遊べなかった時期なので、私にとっても、子供達にとっても、束の間の息抜きになる楽しい時間でした。

 

このままずっと仲良く、一緒に育っていけたらいいなと思っていたそんなある日、Aさんとの間に異変が起きました。

 

いつものようにして、保育終了後に幼稚園で遊んでいると、うちの上の子と、Bくんが木のブロックの取り合いになりました。Bくんが1人で全部使っているのを、少し譲って欲しかったそうですが、どちらも引かず。

 

いつもなら、私は自分の子供に、諦めるように促していた私ですが、なんだかそれも可哀想な気がして、私がつい、『Bくん、少しだけ分けてくれたらいいなぁ…』と言ってしまったのを機に、Bくんは、大泣き。Aさんが怒ってしまい、そのままBくんを引き連れて帰ってしまいました。

 

その後、心配になって連絡したものの、Aさんから返事はなし。幼稚園で会っても、Bくんは声をかけてくれるのに、Aさんは声をかけてくれなくなりました。

 

決定打は、幼稚園が終わってから、うちの子が『一緒に遊ぼう!』とBくんに声をかけると『今日は○○ちゃんと、△△くんお公園で遊ぶ約束してるから〜』と断られたのです。

 

その○○ちゃんも、△△くんもいつも幼稚園で遊んでいる仲良し4人組メンバーだったのです。4人のうち、うちの子だけ、誘われなかったんだぁ…と分かりました。

 

その後、Bくんはバス登園になり、Aさんと幼稚園で会う機会もめっきり無くなりました。クラスも違うので、イベントでも会うこともなくなりました。

 

その後、うちの子がBくんに『一緒になって遊ぼう!』とお誘いのお手紙を書いて、おうちのポストに入れたりしましたが、返事はありませんでした。

 

その後、引越したのかもしれません。近所のスーパー等でも会うことはありませんでした。

 

Aさんは、話さなくなるまで園内で一番親しいママ友だと思っていました。また仲良く遊んでいた4人組の他のお母さん達とも、疎遠になっていきました。

 

仲良しだと思っていても、本当に些細なことで人間関係は崩れてしまうんだぁ…と痛感した出来事でした。

 

だからすっごくショックだったし、もう私と仲良くなってくれるママ友なんて、いないのかなぁ…と思ったりました。

 

でも、幼稚園の帰りとか、朝の送りの後とかに子供達を遊ばせているうちに、他にも仲良くなれるママさんに出会えたり、あまり話す機会がなかったママさんともっと仲良くなったりするようになりました。

 

ママ友の関係って難しいですね。家庭の方針の違いや、子供同士の喧嘩、価値観の違いもあるし。

 

でも、本当に『捨てる神あれば、拾う神あり』。仲良かったママ友との関係で失敗したり、傷付いたけど、至らない自分をそれでも『好きだよ!』『尊敬するよ!』『応援してるよ!』って言ってくれるママ友にも出会えました。

 

私の性格上、色んな人とは仲良くできないと思います。だから嫌われても仕方ない。でも、例え多くなくても、卒園しても励まし合えるママ友に出会えた事は、幼稚園3年間、徒歩登園した財産です‼️✨✨✨

迷走した幼稚園選び

幼稚園選び、すっごく悩みました!

 

モンテッソーリもいいなぁとか、広い、園庭と大きな遊具があるところがいいなぁ…文武両道、カッコいい!英語のクラスがあるのもいいなぁとか。

 

未収園児のクラスにも参加しました。上の子の時と、下の子の時を合わせると、その数、10園を超えます😅2人とも参加した園もありますし。。。

 

それでもすっごく悩みました。モンテッソーリ、良かったですね。でも、そこは園バスがなく、歩いて行ける距離ではなく、毎朝公共交通機関を使って通うしかなかったです。それにうちは上が男の子で、やんちゃな性格なので、外でのびのびするのも良いなぁと思いました。

 

上の子の時に、私が一番気に入ったのは、大きな遊具があり、高い所を自由に登らせてくれる園でした。未就園児のクラスの先生は『○○くん、目がキラキラしてますね☺️✨✨✨』と言ってくれました。こんな風に子供を見てくれる園に入れたい!と思いました。でも、ここの園は、うちの近くには園バスが走っていない。

 

主人は子供は歩かせたい方針の人。それに上の子が幼稚園に入る前、主人から、『来年、海外赴任になるかも?』と言われていたので、利便性を考えて、歩いて行けるのびのびした幼稚園にしました。

 

歩いて通っていた為、私もそして2番目の子も園の様子がよく分かりました。それは徒歩通園のメリットですね。

 

自然豊かな園なお陰で、息子は虫好きになり、お友達もできて、楽しい園生活を過ごしているようでした。

 

でも、入園して1年が経とうとしていた2020年の3月にコロナ禍に突入。5月末まで休園となりました。

 

すると、のびのびだった園の方針が急転換。6月に保育が再開すると、隔日の1時間は保育が始まりました。2週間くらいすると、毎日の半日登園となり、そんなこんなしているうちに夏休み。

 

お弁当ありの1日保育が始まったのは、夏休み明けだった気がします。お弁当は主食だけ、早く食べれる物のみという指定も加わり、お昼時間は15分以内と、時間制限もつくように。またお隣の子とも距離を空けて食べるよう言われるようになります。外遊びの時間も少なくなり、クラス間の交流もなし、イベントも中止か大幅縮小。

 

上の子はそれでも楽しんでいるようでしたし、先生も制限がある状態で最善を尽くしてくれたのは分かります。でも、コロナ前の自由な楽しい園生活を知っているからこそ、喪失感は消えなかったですね。。。

 

一方、主人の海外赴任の予定が見えないまま、卒園を迎えました。そして4月からは上の子が小学校一年生、下の子は幼稚園の年少になる年だったので、上の子と同じの幼稚園へ入園させるかどうか、悩みました。

 

同じ園の場合、年少の場合、入園して初めの数週間は1時間の慣らし保育で、4月は1日保育になるまで園バス利用不可で、親子登園必須だったのです。(年中、年長は比較的すぐに1日保育になるのに)

 

お弁当の制限や、イベントの縮小、中止傾向は続いていましたし、外遊びの時間もコロナ前より減少しているようでした。

 

なので、思い切って、全然違う園に入園させることにしました。今度は、制服や体操着がきっちりあり、専任講師による英語や体操の時間のある、少しお勉強色のある園です。

 

下の子の誕生日が4月なのですが、主人の海外赴任時期の目処が立たないたまに、急遽、下の子の誕生日に入園手続きをし、入園させたというドタバタ振りです。

 

こちらの園は、比較的近くに園バスのバス停があり、入園の翌日から、毎日半日保育で、園バス送迎。小学校か早上がりの日もあったので、2人の帰宅時間がかち合わず、助かりました。

 

また5月からは週2日は仕出お弁当、週2日は手作りお弁当、1日は半日保育という生活がスタートしました。

 

振り返って思いますが、幼稚園選びって、実際体験できないからこそ、難しいです。未就園児向けのプレイベントに参加したら、説明会に行ったり、先輩の親御さんから内情を聞いたりして色々情報を集められるけど、実際に入ってみたいと分からない事がたくさんあります。

 

コロナのように予想できない状況もあるし、幼児教育の無償化とか、制度が変わることもある。でも、入園願書を出す前に集めた事前情報をもとに決めるしかない訳です。親ガチャならぬ、園ガチャ⁉️😅