コナツはいつも迷走中!?

国際派バリキャリ女子を目指したあの頃の私はどこへ行った!?過去を振り返りつつ、今後を模索中のアラフォー女子。どうぞよろしくお願いします。

迷走した20代の就活①

高校では、アメリカに、大学ではイギリスに留学し、英語力がアップした私は、英語を使った仕事がしたいと思いました。大学では国際的な学部にて勉強していましたが、今振り返ると、英語以外、何一つ極めたものはありませんでした。

 

私が就活を始めたのは、イギリスから帰国した大学4年の夏。今から、20年前ですね〜😅

 

その当時、大学3年から就活をするのが一般的で、私が帰国した頃には、友達は就職先が決まっていました。とは言え、氷河期。それになんちゃって帰国子女。でも、夢は英語を使って世界で働くバリキャリ女子!

 

下手な鉄砲、数打ち当たる!と思い、リクルートリクナビに登録して、いろんなところにエントリシートを出しました。一部、郵送で履歴書を出した会社もあったと思います。その当時、エントリシートは、オンラインで出して、就職説明会に参加し、筆記試験を受けるというのが、一般的な採用方法だったと思います。

 

もう何社受けたか分かりませんが、エントリシートだけなら50社は出したと思います。100社出したかなぁ…でもとことん落とされました😅

 

今思えば、私には就職してすぐに使える知識も、技能もほとんどありませんでした。パソコンで、Word、ExcelPowerPointは、ある程度使いましたし、ブラインドタッチのタイピングもできました。でもどのくらいできるかを客観的に示すようなMicrosoft資格などは、持っていませんでした。

 

どんな業界でどんな仕事をしたいかと言う具体的なイメージを持てるほど、企業勉強も出来ていなかったし、実務に使えそうな、簿記とか、貿易に関する資格(通関士、貿易実務検定)とかも持っていませんでした。

 

持っているのは、(具体的でない)憧れに近い夢と、熱意だけ!

 

そんな私を気に入ってくださる会社がありました。特殊なネジなどを作る会社で、海外に輸出していました。私も入社する気満々!

 

しかし、会社が山の上にあり、通勤は車のみ。細い崖のような道を通って行きました。冬は雪が降ると、通勤までの道のりが危険だと両親から心配され、泣く泣く、断る事に。本当にそれで良かったのかは、今でも分かりません。

 

就職先が決まらぬまま、大学を卒業しました。

その後、翻訳通訳会社で、翻訳チェッカーのアルバイトをしつつ、正社員の仕事を探しました。(翻訳者が翻訳した文章の体裁直しの仕事です)

 

新卒ではないので、リクナビは卒業。

卒業しても就職先が見つかっていない人を、その当時、第二新卒と呼んでいたのですが、ハローワーク第二新卒の就職支援をする特別窓口があったので、よくそこにお世話なりました。

 

そこにはYさんという、元外資系勤務で重役をやられていた方が、退職後されてアドバイザーをなさっていました。Yさんには、いつも励ましていただきました。『あなたは語学力も想いもある。そこに経験があれば、就職できる先はいっぱいあるのに、勤めてみなれば経験は積まない。難しいですね…』と。

 

振り返ると、既にお伝えしたように、色んな資格をとる事で、もう少し私の就職の幅は広がったと思います。でも、その時はそんな事は考えてもいませんでした。

 

至らない私ですが、それでも卒業して半年後、小さな商社に就職したが決まりました。国内で中古の建設機械を買い付けて、それを海外に輸出している会社でした。

 

私はその会社で貿易事務として、輸出書類の作成や船による輸送手配の方法などを学びました。その後、その会社の業績が悪くなり、半分ぐらいリストラされる事となりました。

 

私は幸いな事に残れたのですが、いつ辞めさせられるか分からないと思い、就活を再開。1年もしないうちに転職する事となりました。

 

〜迷走した20代の就活②に続く〜